私は戦争や鉄砲をこよなく愛する男の子それと同時に何故何故くんでもあったので戦争体験者の人に戦争の話しを聞くのが大好きだった。ある人は、「内の者なんか一つも聞きやしねーんだ!いや~がばちゃんはいい子だ!そばでも食え!お~良い食いっぷりだね!もっと食え!」と可愛がってもらったものです。
今考えたら戦後教育でその後の団塊世代には敗戦史観、自虐教育がなされ、世には、ニューエイジ 新人類なるムーブメントも出てき、戦争体験者との思想の確執があったとしる。現にうちでも私が質問をし祖父と戦争体験の話しに花を咲かせていると
父が「またその話か、時代は変わったんだよ」
と捨て台詞をささやき、席を後にしていった姿を見た。当時は何故気まずい雰囲気になたのかも理解できなかったが、それもまさに思想の不一致が成すものだった。
この様な風景は多かれ少なかれ日本のどの家庭にもあった風景だと思う。
戦前の教育 と 戦後の教育の違い からなる思想の不一致のなす業、つまり誰かが悪いわけではない。とこのような視点で今後書いていってみようと思う。
情報源は?
情報源は私の記憶です。私は、一般家庭の生まれではない。最近足を洗ったのですが、まだ多くを語れないほどのとある有名組織の幹部の家に生を受ける。そこには多くの信者と言われる人達が集まってくるのだ。私には理解しがたかった。未だに理解できない。家業としての認識はあったが、その組織の崇拝対象は尊崇に値するものではないと子供の時から薄々思っていた。
その中で人は集まり多くのコネクションとお茶請(和菓子)沢山あったのでそこで聞けた話を元に、時系列関係なく皆様の何かの足しになれば程度に書いていこうと思います。
組織の話しは機会があれば思想 影響 教育 洗脳など絡んでくる中々体験できない話しでしょうから別途してみようと思います。
しかし文章化する事により改めて無駄な課題が多い環境で生まれたのだなーと実感し心が穏やかになります(笑)
このような性格だから、親には「門前の小僧習わぬ経を読む」と揶揄されたものですが、最後は「釈迦に説法をしてあげました(笑)」と言う話しです。
誤解が無いように
私は無神論者ではございません。憲法学、自然法論 で言う神の真偽性も重々理解しております。神道と仏教はこの日本にとても重要な精神的支柱だと心得ております。釈迦に説法と言いましたが、これは比喩です。涅槃と煩悩は同一である と言った竜樹や西洋哲学のソクラテス、プラトン、など東西問わず思想に触れて得手不得手を知るのが好きな感じでしょうか