ロゴス(言葉)とデーモン(悪魔)ヨハネは「はじめに言(ロゴス)があった。言は神と共在し、言は神であった」
とめちゃくちゃキリスト教チックなタイトルに成っていますが、私はキリスト教徒では全くもんてありません(笑)
哲学 心理学 言語学 歴史や宗教には興味があり、追求しないと気がすまない性格でして、

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古代ギリシャの哲学や神話を支える概念として、
大きく
ロゴス(言語)
ミュトス(物語)
ケール(ギリシャ神話)が
と有るのですが、今回は、ロゴス(言語)に注目していこうと思います。
後に預言者で使徒のヨハネも出てきます。
なぜかと言いますと、エヴァンゲリオンから、グノーシスに嵌った私ですが、
グノーシス主義の思想、太田俊寛先生の著作の解説の中に出てくるロゴスとの言葉
「ロゴスってなんだっけ?」と、今回の疑問が始まりました。
それでは、はじめましょう。
それでは、はじめましょう。
ロゴスとは?
※(引用)
https://tinyurl.com/2jtdw9gx
ロゴス(logos)とは、古典ギリシア語の λόγος の音写で、
1言葉、言語、話、真理、真実、理性、 概念、意味、論理、命題、事実、説明、理由、定義、理論、思想、議論、論証、整合、言論、言表、発言、説教、教義、教説、演説、普遍、不変、構造、質問、伝達、文字、文、口、声、【ダイモーン】、イデア、名声、理法(法則)、原因、根拠、秩序、原理、自然、物質、本性、事柄そのもの、人間精神、思考内容、思考能力、知性、分別、弁別、神、熱意、計算、比例、尺度、比率、類比、算定、考慮などの意味。
・転じて「論理的に語られたもの」「語りうるもの」乃至は「言葉(言詮)を通じて表される恒常的真理乃至(ないし)それに付随する言詮(げんせん)内容」という意味で用いられることもある。
2万物の流転のあいだに存する、調和・統一ある理性法則。
3「宗教(ミュトス)的位相」であるキリスト教では、神のことば、世界を構成するミュトスに基づく論理としてのイエス・キリストを意味する。
※
とある。つまり、ロゴスとは多岐にわたる意味合いを持つ、ここに私は古代の哲学者は既に言語学の本質を感じていたのではないかと推察した次第です。が、この話はまたの機会にしたいと思います。
しかしロゴスの意味合いの中に出てくる。
【ダイモーン】とはデーモン!現代では【悪魔)のこと、
ダイモーンとは?を探しましょう
https://tinyurl.com/2ftnbhf8
古代ギリシアおよびヘレニズムにおける神話・宗教・哲学に登場する、「人間と神々の中間に位置する、あるいは善性あるいは悪性の超自然的存在で、下位の神格や死んだ英雄の霊など」を指す(プラトン『饗宴』を参照)。和訳例は「鬼神」[1]、「神霊」[2]、「精霊」[3]。
ダイモーンはユダヤ・キリスト教のデーモン(人間を誘惑したり、苦しませたり、取り憑く悪霊)をも指し[4]、デーモンに相当する西洋諸語(英: demon, 独: Dämon, 仏: démon)は、これより派生したものである。主として古代ギリシアやヘレニズム哲学におけるダイモーンに対して「ダイモーン」という呼称を適用し、ユダヤ・キリスト教におけるダイモーン/デーモンには「デーモン」という呼称を適用して、両者を区別するのが通例である。
敬慕されている英雄や創立者のダイモーンは神殿建立によってそこに留まり、立ち止まってそれに祈りを捧げる者に幸運と庇護を与えるとされた。ダイモーンは基本的に悪いものとは見なされていなかった。ダイモーンという言葉はまた、守護神としてはたらく黄金時代の人々の魂を指した
ユダヤ・キリスト教がデーモンの曲解をしたのか? それとも神的神話と御魂を区別しすぎて、悪しき物としたのでしょうか?
作為無作為は、分かりませんが、こんなのは、誤読解の間違った誤用だと言えるでしょう。
つまり、デーモンは先人の御霊、悪く言っても、悪霊であると言い切れるでしょう。
しかし文中にも有る【ダイモーンは基本的に悪いものとは見なされていなかった。】
とデーモンが悪魔どころかまったく悪い意味はなかった。
やはり古代ギリシャのように多神教から、キリスト教など一神教に変容していく際に、神以外は悪!聖者以外は悪とされたのでしょうね。
議論では、
まさに議論中の誤りで、
詭弁(きべん)※故意な嘘
強弁(きょうべん)※押し付け
誤謬(ごびゅう)※勘違い
がありますが、まさに宗教組織の開祖の【詭弁、強弁、誤謬】の賜物で、この現代の我々の認識も構成されていた?と言うことに
【ギリシャ神話⇛哲学⇛原始キリスト教⇛キリスト教】
を通し、私も再認識しました。
誤解曲解をさせられ続けたのが現代の人々、特にキリスト教やそれに纏わる一神教の信者の方々は被害者と言えるでしょう。
これが現代の歪、の原因、皆さんの言いしれないストレスや、渇望に起因すると言っても過言ではないと思われます。
私は宗教世界つまり【誤った言語体系】と言いましょう。そこで生まれた。そこで【詭弁、強弁、誤謬】と戦った。
しかし、社会もさほど変わりない。
最たるは【努力義務】などとこんな曖昧な言葉を使う時点で、
つまり社会と宗教世界は【詭弁、強弁、誤謬】の濃淡の差でしかない。
私が心理学や哲学を追求した末に、そこに見たもの、
それは人の根幹は【性善説】であること、
しかし、育成環境の問題で【性悪な行動】が出るのは心理を多少知ってる人なら当然のことだが、
逆説、人の根幹が【性善でない限り】今ある心理学の理論は全て崩壊すると言える。
※根幹からおかしいサイコパスは除かれる可能性はある。
つまりけっして「人は性善なんだー!」と短絡的なものでもない。
そしてそれ以外の要因として、【言葉の定義】の問題がここに発生していると言える。
つまり概念がおかしい。概念がおかしいということは、人が思うことがおかしいということ、おかしさの上で考え感じているということ、
悪が悪霊が悪ではなかったという事実
つまり善も善ではない。
もっと定義は過小評価されるべきなのかもしれない。
善も悪もそもそもそれすら下らない陳腐な定義だったという事だ。
善悪の上に、神が居ると仮定しよう。
構造
神
善悪
となる。
しかし、善悪の誤った定義を持つことにより、一宗教団体は、自らを上げるために、言語定義の改ざんを行ったが、実際は神の概念まで下がったのではないかと言える。
私は神聖という言葉を思い出した。
私は元来の神聖の意味合いではなく、聖を(聞く話す王)と仮定する
つまり神経言語学を思いだした。
神経言語学
https://tinyurl.com/2myo58z8
神経言語学(しんけいげんごがく、英語:neurolinguistics)とは、発話、手話、書字される言語の理解、産出、及び言語の抽象的知識の根底にあるヒトの脳のメカニズムに関わる科学の分野である。神経言語学は、言語学、認知科学、神経生物学、計算機科学などにまたがる学際的な分野である。
つまり現代は、この神経や精神に対して、しっかりとしたアプローチができていないから皆さんの心がクリアーにならないのでしょう。
ヨハネによる福音書
はじめに言(ロゴス)があった。言は神と共在し、言は神であった
— 『ヨハネによる福音書』
つまりこれで、ヨハネの言いたいことが皆さんにもご理解いただけるでしょう。
これは、白川静、氏の「神様がくれた漢字たち」
にも
「文字、漢字、言葉 は神と交信するためにできた」
とある。
つまり、神と言葉との関係、
私が言う神は、皆さんの心の根幹の話、つまり「性善説」で言われるような、神聖なる精神の根幹
そことの会話と交信が、自他ともに上手く言っていない。のがこの現代なのでしょう。
そこから生まれるのが、「齟齬と誤解」そして「争いと戦争」と言えるでしょうね。
つまり言葉の定義を修正することが、神聖なる精神の根幹への交信の手段であり、本来の皆さんの求むものへのアクセスの方法と言える。
唯物的な、地位や名誉も、自他の認識の誤りで、一瞬にして消えていく、それを世では「裏切り」や「争い」などで言葉で表し、望まずとあらわれるのでしょう。
そもそもその概念で形成されてしまった現代文明そして、今の現代の私達と今現在置かれる国際情勢はまさに歪なもの担っているのは当然です。
精神の根幹に皆さんにはアクセスして頂きたいものですし、
もし難しいようでしたら、私の方へご連絡いただけるなら、お手伝いさせて頂きます。
窓口はこちら⇩
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